自由時間と趣味のバランス

1日当たりの自由時間の量は、人生のステージと共に変化する。各ステージにおいて自分はどのような気持ちで、自由時間をどのように使っていただろうか。


この4月から社会人になり、大学時代と比べて自由な時間が減った。ものすごく辛い。とはいえ、まだ研修中である。定時に出て定時に帰る生活であり、帰宅してから寝るまでの自由時間は1日あたり7時間ほどある。そこから夕飯・入浴の時間を抜いても6時間ほど残る。「充分あるじゃないか」と怒られるかもしれないが、この6時間があっという間に過ぎ去ってしまう。もっと趣味の時間が欲しい。

研修は座学中心である。毎日朝から夕方まで話を聞くという点が中学高校時代と似ていると感じた。では中高時代も今と同じように「もっと時間が欲しい」と思っていただろうか。はっきりとは思い出せないが、そんなことはないように思う。むしろ暇な時間の使い道に困っていた気がする。宿題以外の勉強をわざわざしたいと思わず、ポケモンやモンハンも2時間プレイすれば飽き、楽器の練習(当時はピアノのみ、即興演奏もできず)も1時間程度しか続かなかった。ゲームに飽きるというよりも「こんなことに時間を使いすぎてはいけない」と心のどこかで思っているから長時間プレイできなかったのだと思う。結局「何をしようか」と困り果て、床に寝転ぶ。文字通りの暇充であった。

中高時代と今の違いは何だろうか。おそらく、趣味が増えたことだろう。それも、やったことが成果物として残るような趣味である。楽器の練習をして録音をネットにupする。動画を作る。マインクラフトをする。マイクラはゲームだが、ポケモン・モンハン・ウイイレなどに比べてやったことが目に見えて残る。「ゲームをして過ごした楽しい時間」以上のものを得られるゲームだと思う。

かと言って自由時間が無限にあれば良いかというとそうでもない。大学院時代、スーパーホワイト研究室に入った私には自由時間が山ほどあり、土日をありがたいと思わないほどであった。しかし趣味に没頭してモノを作りまくったかというとそんなことはなかった。どれだけの時間でどれだけのクオリティを達成するのかが曖昧なままだったため、いつまでもだらだらと細かいところを修正していた。また、やりたいことのうち何から手をつけるかということに悩む時間が多かった。あまりに自由すぎて「最も良い時間の使い方は何だろうか」などと余計なことを考えてしまっていた。

一番バランスがよかったのは大学時代かもしれない。平日は講義と課題(真面目に取り組んでいた)であまり自由時間がなく、土日があることをありがたく感じつつ楽器の練習とゲームをして過ごした。そして期末試験で溜まったストレス(とアイデア)を長期休暇で発散するべく、動画を作った。ストレスが溜まっているから趣味のモチベーションもひと月ほど持続した。長期休暇には終わりがあるから「いつまでに仕上げる」という目標ができ、一定期間内に必ず成果物を出せた。余談だが、普段趣味以外のことで忙しくしているとアイデアが降ってくるような気がする。


自由時間と趣味のバランスが取れていないと不幸になるように思う。自由時間過多は中高時代と大学院時代で経験した。もしかしたら小学校前半の頃にも経験したかもしれない。大学時代はバランスが取れていた。今もバランスが取れている方なのかもしれない。ちょっと足りないくらいがちょうどいいとも言うので。

さて、あとひと月もすると圧倒的自由時間過少の生活が始まる。人生初の経験だ。バランスを取るために趣味への熱意が消えていくのだろうか。趣味を続けるために休日もフル稼働するのか。どんな気持ちで過ごすことになるのか全く予想もつかないが、忙しい日々の中で今現在の気持ちを忘れてしまっても思い出せるように、ここに書き残す。

2017年5月31日の自分は、リコーダー・ピアノ・コーヒー・マイクラを全部やりたくて、時間が足りないと思っている。

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